dead_cherry_______21 april 2012, machida

About

制作ノートや批評、それにエッセイなどをブログ形式で、自身のサイト"T_Sasatani Photographs WEB"の一コンテンツとして組み込みたいと考え、試行錯誤しつつ準備を進めています。
むろん他愛もない日記をUPしようというのではない。これまで<写真>について書いたものや自身の写真に関して書かれたものをデジタルアーカイブするとともに、折に触れ、<写真>とその周縁をめぐり考えたり感じたりしたことを記していこうとおもったのだった。とはいえ、訳の分からないアルファベットや数字を組み合わせたペンネームが垂れ流すブログ文化を好ましく思わないので、ここではインタラクティブ性を意図的に排除した。もっとも、双方向のコミュニケーションを遮断したいのではなく、実名(それと分かるペンネームも含め)からのコンタクトはむしろ望むところであり、シリアスな写真集のような構造としたい"T_Sasatani Photographs WEB"内のカジュアルで開かれた1ページ。そうしたものとして構想している。しばらくはベータ版となります。

20110725

記憶のラビリンス/スクエア25_7th

3rd(2009)より参加しているギャルリーソレイユの企画展『スクエア25』。7thとなる次回(2011/11/28~12/3)のキュレーター役をいささか力不足ながらも務めることになり、テーマを”記憶のラビリンス”とした。
テーマの提示、それに展示構成などを担当するのだが、絵画主体のグループ展なので上手く出来るか不安であると同時に、<記憶>というものをめぐるささやかな夢想が多様な作家たちとどう交差し、それが共有であれ反共有であれ、どのような展開をみせてくれるか楽しみでもある。

[記憶のラビリンス]

過去の、あるいは未来の記憶と戯れ、夥しい<記憶>の集積が織りなす迷宮的な壁面の内に<夢>を見出すこと。

「なんのこと、ヴァージル?」
「連鎖だよ。組み合わせだ。力だよ」
「お願い。わかるように話して」
───────────グレッグ・ベア『ブラッド・ミュージック』

あたかも夢を見るかのように、いささかためらいつつも記憶のアーカイブ(貯蔵庫)の奥深くへと分け入ってみる。暗箱または暗室をおもわせる大容量のハードディスク。
喪失したかにおもわれた、それら時間と空間の脈絡をともに欠いた記憶の断片をサンプリングし、再生してみること。

攪拌と再編、または変奏。

夢が時空を欠いた過去の、あるいは未来の記憶の断片的かつ荒唐無稽な大脳皮質への投影だとすれば、この再生行為はそうした夢の構造に似ている。

憂鬱と快楽。

夥しい<記憶>の集積が織りなすソレイユの空間をひとつのカメラ・オブスキュラ(暗箱)だとすれば、小さな孔を通して外部を映し出すと同時に、内部から外部へと迷宮的な壁面を逆照射することだろう。

この壁面は、さてどのような<夢>を夢みるだろう。

「ここでは、《思考宇宙》では、すべてが可能だ。シミュレーションだ。あなたの記憶をもとにした再構築だ」
───────────グレッグ・ベア『ブラッド・ミュージック』
「私が愛してやまないもの、それは思い出と記憶である」
───────────ジャック・デリダ『回想録』